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ボククボのくよくよ日記

ボククボがくよくよしながら日々ちょっとずつ成長していく記録

未来との別れ

「私たち……もう終わりなの?」

 

 未来はそう言って、目に涙を浮かべた。なんと返せばいいのか分からず、思わず黙り込んでしまう。重い沈黙の時が流れた。

 

「失礼いたします」

 

 いい具合に店員が静寂を破ってくれた。さきほど頼んだショコラケーキをそっとテーブルの上に置きながら、チラリと未来の顔を見る。渋谷のカフェにいると、やはりある程度の注目は免れなかった。

 ぼくはショコラケーキを見つめながら、ふーっと息を吐いた。

 

「やっぱり……ぼくたち、もう無理だよ。続かないと思う」

「なんで?」

「未来のこだわりには、もうついていけないんだ」

 

 意を決して言うと、未来はバツの悪そうな顔をした。「それくらい」と言いかけるので、思わず制する。

 

「それくらいって程度じゃないだろ。家では服と部屋着とパジャマを分けなきゃいけない、お風呂場は順番通りに水はけしなきゃいけない、ベッドに入る時は足の裏をウェットティッシュで拭かなきゃいけない……そんな異常なこだわりをパートナーにまで押し付けて、守らないといちいち怒るんだもん。悪いけど、もう限界だよ」

 

 未来は眉間に皺をよせ、訴える様な目つきをした。

 

「でも、付き合うとき、そんな私でもいいかって聞いたらいいって言ってくれたじゃない」

「そりゃ、付き合う時はね。最初は愛があったからぼくもそれに全然合わせられたよ。でも3ヶ月も付き合ってそれが日常になってくると、いくらなんでもキツイって」

 

 未来は何か言い返そうとして口を開き、結局閉じてしまった。再び静寂が訪れる。気まずさに絶え切れず少しだけ横を向いたら、隣りのテーブルにいる人がこちらを向いているのに気がついた。制服を着た男子高校生2人組だ。「あれひょっとして……」「だよな」と興奮してこっちを見ている。ひとにらみすると、2人ともすぐに首の向きを元に戻した。「誰だよ」と微かに聞こえた気がした。

 

「あと一つ聞いていい?」未来が暗い声で言う。

「何?」

「どうして抱いてくれないの?」

 

 思わずむせそうになった。普通の声量だったけど、耳を澄ましているだろう隣りの男子高校生にはたぶん聞こえている。

 

「最近、私がいくら頼んでも全然抱いてくれないじゃない。疲れたとか明日早いとか言い訳ばっかりして。なんで?」

「そ……それは……」思わず口ごもる。

「抱くどころかキスもしてくれないし、手さえ繋いでくれなくなったじゃない!私じゃ不満?それとも、何か特殊な性癖でもあるの?」

 

 攻撃をやめない。うつむくぼくに、また強い口調になった。

 

「なんとか言いなさいよ!」

「だから……かみ……と……たから」

 

 我ながら情けないぐらい、声がかすれた。

 

「何?聞こえない」

「だから……神本竜之介と付き合ってたって言ったから!」

思い切って言ってしまった。ぼくが未来と続けられない、本当の理由。

「え?」未来が目をぱちくりさせる。

「それが……何?」

「1ヶ月くらい前に、実は神本竜之介と付き合ってたって言っただろ……それが嫌なんだよ……」

「そ……それの何が問題なの?もう10年くらい前のことで、終わったって言ったでしょ?それを信じてないわけ?」

「信じてるよ」

「じゃあなんでよ!」

「ぼくは……」

 

 言いたくない、言いたくない。でも未来の鋭い眼光が、ぼくを観念させた。

 

「ぼくは、一度も異性と付き合ってない子と付き合いたかったんだ……」

「はあ?」

 

 怒っているのではなく、単純に理解できない「はあ?」だった。眼光は鋭いままだったけど、一度言ってしまえば、あとは言わないでいる方が辛かった。

 

「最初の彼女は、ぼくが初めての彼氏になる人にするって、ずっと前から決めてたんだよ。中学生の時から10年近くずっと夢見て来たし、自分の中の鉄則にしてたんだ。なのに、未来は違った。ぼくのその絶望が分かる?」

「何それ?そんなこと気にするの?」

「気にするんだよ、男は。分かんないと思うけど」

「じゃあ付き合う前に聞けば良かったでしょ?」

「聞ける訳ないだろ!未来と付き合う時に『付き合ったことありますか?』なんて!」

 

 思わず激しい口調になる。声を抑えるのに必死だった。

 

「それに……聞くまでもないと思ってた。あまりにも純粋な子だったから、異性交友なんてしてないって信じてた。信じてたんだ!」

「勝手に信じないでよ!」

「だって、あんな純粋な役ばっかりやってるの見たら信じるじゃん!それなのに、実は神本竜之介と……イチャイチャしてたなんて!」

「何よ!私の体が汚れてるって言うの?」

 

 ついに本気で怒り始めた。少しだけ周りの客が注目した気がする。

 

「未来の体は綺麗だよ。でもなんか……概念的にダメなんだよ。この綺麗な体を神木竜之介が触ったと思うと、色々考えちゃうんだよ。だからつい触れなくなっちゃうんだよ……」もはやぼくの方が泣きそうだった。

「別に……異性交遊が汚らしいだなんて、偏見じゃない」

 

 未来は言ってから、あ、と何かを思い出したような顔をした。

 

「じゃあ何、『14歳の母』の未来(みき)だって汚れてたって言うの?ああいう風に美しく結ばれる場合だってあるでしょ?」

「あれだって本当は嫌だったよ!14歳であんな役をやるなんて!ちょっと前まで女王の教室で小学生を演じてた子が……あんな役をやるなんて、正直ありえないくらい複雑な気分だったんだ。しかも、相手が三沢春馬だなんて……。イケメンじゃないか!ひょっとして、本当に三沢春馬とそういう関係になったんじゃないかとか思っちゃうんだよ!」

「春馬とは何の関係もないわよ」

 

 口調は極めて普通だったけど、一瞬だけ目が泳いだのをぼくは見逃さなかった。

 

「ちょっと待ってよ!なんでいま一瞬目が泳いだんだよ!ていうか春馬ってなんだよ?下の名前で呼ぶなんておかしいでしょ!」

「何にもないって言ってるでしょ」露骨に不機嫌になる。

「ほら!ムキになるってことはやっぱりなんかあったんだ!神本竜之介に続いて三沢春馬もかよ……」

 「違うって言ってるでしょ!付き合ったのは竜之介だけよ!」

「ふーん。でも、本当はまだ好きなんじゃないの?」

「好きじゃないわよ!佐藤ひなこなんていう巨乳女に浮気して!男としては最低だったわ」

「本当に最低だよ!」

 

 もう話が変な方向に行っている様な気がしたけど、ヒートアップしてしまっては2人とももう止まれなかった。

 

「あ、じゃあ、山崎涼介は?コンサート行ったんでしょ?」

「それは、探偵学園Qで共演して友達になったからよ」

「ふーん。あんなにカッコいいやつがダンスしているの見て、ちっとも惹かれなかったんだ?」

「私は顔で男の人を選ばないって言ってるでしょ!」

「でもさあ、やっぱりもう信じられないよ。これからどう付き合って行けばいいんだよ。ねえ教えてよ。一体誰が好きなの?三沢春馬?山崎涼介?神本竜之介?」

「崇史よ!!!」

 

 未来が立ち上がり絶叫した。え、とぼくの口が半開きになると同時に、店中の客がこちらを振り向く。

 

「三沢春馬が何よ!山崎涼介が何よ!神本竜之介が何よ!みんな顔だけじゃない!私は崇史が好きなのよ!!」

 

 ついに大声で泣き出す。ぼくは口をポカーンと空け、ただ未来の顔を見つめていた。

店内中の客が口々につぶやくのが聞こえる。

 

「何?」「あの子、もしかして……」「何で泣いてるの?」「あの男彼氏?」「いやあのコの彼氏にしてはダサすぎでしょ。それに外国人じゃん」「じゃあ崇史って誰?」「さあ」

 

 呆気にとられたまま、ぼくは声を絞り出した。

 

「み、未来……ごめん、ぼく──」

「もういいわよ!そんなに私のことが信用できないんでしょ!」

「違うよ。ぼくは好きだから、ただ嫉妬しちゃって……」

「今更そんなこと言ったって遅いわよ!そんなにこだわるならずっと一度も付き合ったことない人にこだわってればいいじゃない!だいたい22歳にもなって彼女できたことないってのがおかしいのよ!そんなつまんないことを無駄に気にするのも、あなたが子供だからでしょ?それにね、他にもこだわりが多すぎるのよ!自分より背が低くて黒髪じゃないと駄目?優しくて正義感がないと駄目?年齢は自分より上だったら絶対駄目だけど未来ならいい?はあ?何様よ!その上彼氏できたことないなんて人、この日本にどれだけいるのよ!ずっと探してれば?あなただけのお姫様を、50歳になってもずっとね!!」

 

 いくらなんでも言い過ぎだ。ここまで言われてぼくも黙っているわけにはいかなかった。勢い良く立ち上がる。

 

「そんなこと言ったら未来だって同じだろ!うどんは3本ずつとらなきゃだめ?服はたたんでから着る?そんな異常なこだわりに全部合わせてくれる人なんて日本中探しても誰もいないよ!だから神木だって浮気したんじゃないの?やっぱり神本の気持ちが分かるわ!!」

「じゃあなんで私のことを好きになったのよ!!」

「綺麗だからだよ!!」

 

 え、と未来が不意をつかれたような顔になる。え、とぼくも困惑した。感情とは裏腹に、気づけば口をついて出てしまっていた。でも言った途端、未来に対する想いが溢れてきた。

 

「顔はもちろんだけど……魂が綺麗だからだよ!芸能界でどれだけチヤホヤされても謙虚でまっすぐで、努力家な姿に惚れたからだよ!」

 

 未来が口をパクパクする。顔が真っ赤だ。

「もっと言おうか?正義感が強い所!ツナを美味しそうに食べる横顔!なるべく正直であろうとするところ!手作りの料理が美味しいところ!子供のような寝顔!どれも大好きだよ!!」

 

 絶叫だった。ハアハアと肩で息をする。もはや店内中の客全員が一言もしゃべらずぼくたちを見ていたけど、全く気にならなかった。

 

「こっちこそ聞かせてもらうけど、そんなに言うんだったら、未来はなんでぼくのこと好きになったわけ?」

「それじゃ、言わせてもらうわよ」涙をぬぐって、未来は目を見開いた。

「全部よ!優しいところも、真っ直ぐな目も、正義感が人並み外れて強いところも、子供っぽいところも、嘘が下手なところも、キスがうまいところも、全部大好きよ!」

 

 未来も肩で息をし、2人はしばらく黙って見つめ合った。そして、2人同時にえーんと声をあげて泣き始め、抱き合った。

 

「好きだ」

「私もよ」

 

 未来の髪が鼻に当たる。シャンプーの香りがした。いつまでも、こうして抱きしめていたかった。それでも、言わなければならない。

 

「でも」とぼくが言うと、

「もう」と未来が応えた。

「続けられない」

「うん」

「こうなる運命だったんだ」

「そうね」

「お互いの幸せのために」

「別れましょう」

 

 合図もせず、2人は同時に手を放した。再び見つめ合う。ありったけの力を振り絞って、ぼくは笑った。

 

「未来はさ、名前の通り、未来に向かって生きなきゃ駄目だ。こんな、過去を引きずるような男より、もっと良い男と付き合うべきだよ」

「崇史も、こんなわがままな女より、もっと素敵な人が見つかるよ」

「ありがとう。じゃあ、お互いの未来のために」

「ええ」

 

 最後は、2人声を揃えて言った。

 

「さよなら」

 

 2人同時に鞄を手に取って歩き出そうとしたとき、割れんばかりの爆発音が響いた。え、と思い周りを見ると、それは店内中の客の拍手だった。

 

「素晴らしい!2人は素晴らしいです!」

「いいものを見せてくれてありがとうございました!」

隣りの席にいた男子高校生2人が叫ぶ。顔を真っ赤にして号泣していた。他にもあちこちから「素敵ね!」「彼氏も男だぜ!」などと聞こえてくる。

 

「みなさん……ありがとう!」

 

 未来が言い、お辞儀した。ぼくも合わせてお辞儀したあと、男子高校生に向き直った。

 

「君たち……彼女はいる?」

「います」「ぼくはいません」と、2人が口々に答える。

「そうか」ぼくはふっと笑ってから、いないと答えた方を指差した。

「彼女を作るコツは、焦って下手に彼女を作ろうとしないことだ。まずは男を磨け。そしたら、自然と女はついてくる」

「はい!」

「それから君」もう一人の方を指差す。

「彼女に優しくしてやれよ?ぼくみたいに、泣かせないようにな」

「はい!」

 

 2人とも満面の笑みでうなずいた。

 

「じゃ、行こうか、未来」

「ええ」

 

 2人が歩き出すと、拍手がいっそう大きくなった。大勢の人々の笑顔と泣き顔に囲まれながら、ぼくたちは店を後にした。