ボククボのくよくよ日記

ボククボがくよくよしながら日々ちょっとずつ成長していく記録

“優しさ”とは想像力のことだと思う。(自戒を込めて)

つい最近、ある人にひどく怒られることがありました。ぼくの配慮が足らなかったばかりに人に不愉快な想いをさせてしまったことを、「ちゃんと考えなさい」と、怒られたというよりは、正しく叱られました。

あぁ、またやってしまったと思いました。ぼくはこういった類のことでは何度も怒られていて、気をつけていたつもりだったのですが、まだまだ甘かったようです。

もちろん「不愉快な想いをさせよう」なんて思ってはいなかったのですが、こうなってしまったのはぼくに配慮と言うか、人の気持ちを想像する「想像力」が足りなかったからなのだと思います。

ぼくは常々「優しさとは想像力のことだ」と思っています。寛大さとか思いやりだとか、そういうものだけではなく、相手の気持ちを想像できる力、それがないと本当に「優しい」人にはなれないと思っています。

たぶんこの考えはけっこう当たっていて、というのも、よく物事を考える人はだいたい同じことを言っているからです。

 

ぼくの1番好きな小説家、伊坂幸太郎の作品「ラッシュライフ」で、こんな台詞がありました。

 

「優しいって字はさ、人偏に『憂い』って書くだろう。あれは『人の憂いが分かる』って意味なんだよ、きっと。それが優しいってことなんだ。ようするに」

「ようするに?」

「想像力なんだよ」

 

また、重松清の小説「ゼツメツ少年」でも「大事なのは想像力です」とあるし、朝井リョウの「何者」でも、「光太郎のいいところは想像力があるところだ」「やっぱり、想像力のない人間は嫌いだ」「想像力、想像力。」と、これでもかというぐらい想像力の大切さを訴えています。

 

……とか言っておいて、ぼくはまだまだ想像力が足りません。未だにびっくりするくらい変なことを言ったりやったりするし、嫌われてしまうことは少なくないです。

だから本当は「想像力が大事なんですよ!」なんて語る資格は全然ないのですが、今回の件でじっくり考えさせられたので、自戒を込めて書いてみたいと思います。

 

高校生の時までは本当にひどかった

今のぼくもひどいのですが、高校生まで、ぼくは想像するということを本当にしていなく、お話にならないくらいひどい人間でした。

たとえば小学生の時、ぼくは1番後ろの席で、その前の席に座っていたのがすごく背の高い男の子だったんですね。で、ある日その子が学校を休んだんですけど、翌日にその子が登校してきた時、ぼくは笑顔で

 

「君が昨日学校を休んだから、黒板がよく見えたよ!」

 

って言ったんですよ。その子が「じゃあ俺が居ない方がいいってことだな」って怒って初めて、「しまった!悪いこと言っちゃった!」って気づきました。

他にも、先生が「このノート落ちてたんだけど誰のかしら?」って言って中身を見せてもらったとき、「ぼくこんな汚い字書かないので違います」とか言ったり。

 

まぁ幼い頃なら仕方ないかもしれないんですけど、そのレベルが高校の時まで続いたんですよね。クラスで文化祭の出し物決めをするとき、焼きそばづくりを推している人がいたのに「料理なんか作ってもつまらないじゃないですか」と悪気無く言ったり、文化祭の片付けで釘を拾ってくれている人に対し、「そんなちまちました仕事やらないでこれやって」と言ったり……。

色んな人に怒られたり嫌われたりしていたのですが、それらは突き詰めると、大体「人の気持ちを考えていないから」に行き着いていたような気がします。

でも、そんなぼくの欠点をきちんと叱ってくれる人がいて、何度も何度も叱られたあと、「あぁ、ぼくって怒らないし人にひどいことされても笑って許すし、優しいことが取り柄だと思ってたけど、知らず知らずのうちに人を傷つけてたんだな。全然優しくなかったな」と気づきました。

それからは常に「想像力、想像力」と言い聞かせて生活するように心がけています。(それでも全然甘かったので今回怒られてしまったわけですが)。

 

想像力のないケース

人間は不思議なもので、自分のことには気づかないくせに、人のことにはよく気がつきます。想像力のアンテナを張っていると、「あ、この人には想像力がないな」とすぐ分かりますし、反対に「この人はすごい想像力あるな」というのも分かります。

ここで少し、様々な「想像力のないケース」を例にとってみたいと思います。

 

・話が無駄に長い。

相手に話を聴くモチベーションが明らかに落ちているのに延々と自分の話をする人は、「想像力がないなぁ」と思ってしまいます。「自分がしたい話」ばかり考え、「相手が何の話をして欲しいか」を考えていないからです。ちなみにぼくも一年前くらいまでこうでした。今は話はなるべく短くすることを意識しています。

 

・「具合が悪い」と言っているのに「大丈夫?」とか「お大事に」と言わない。

具合が悪いことを想像できていないのか、それは想像できているのに言わないのか分かりませんが、そういった言葉を言ってもらった方が嬉しいだろうということを想像できていません。

ちなみに、具合が悪いその時だけではなく、その人が帰った後などにラインで「大丈夫?」と言ってあげたり、具合が良くなってから会った時に「もう元気になった?」などと言ってあげると、さらに嬉しいですよね。こうしたことができる人は「すごく想像力あるなぁ」と思います。

 

・「お疲れさまです」と言わない。

「お疲れ様です」というのは魔法の言葉だと思うんですよね。だってその人が今働いていないのに、「働いてくれたんだな」とか「頑張ったんだな」というのをまさに「想像」して、その苦労をねぎらう言葉ですから。

 

・心配してくれていた人に「もう大丈夫」と言わない。

これはぼくが高校の時にめちゃくちゃ怒られたやつです。

あるとき足を怪我したまま、演劇部の舞台に立つことになりました。顧問の先生がめちゃくちゃ心配してくれた中なんとか舞台を終えたのですが、そのあと先生に会った時、足のことと全然関係ない話をしてしまったんですよね。

すると「まずは『無事に舞台できました』だろ!どんだけ心配したと思ってるんだ!」と烈火の如く怒られ、初めて「あぁ、しまったな」と思いました。先生の気持ちを想像すると、本当にひどいことをしてしまったなと思います。

 

「悪気はなかった」では済まされない

これらのケースは、どれも悪気があって起こるものではありません。ものすごくおしとやかで人当たりもよく、困っている人がいたら喜んで人助けをしてしまうような人でも、こういったことをしてしまう場合がよくあります。

でも、「悪気はなかった」では済まないのです。それで現に人が傷つき、不愉快になるのですから。優しく在ろうと思うのであれば、ただ単に寛大になるだけでなく、人の気持ちを想像するよう、常に配慮を忘れてはならないのだと思います。

ぼくは「想像しよう」と日々気をつけていたつもりが、全然できていなかったことが分かりました。また気をつけなきゃな、と思っていますが、たぶんまたいつかどこかで「想像できていなかったな」と悔やむ時が来るでしょう。

生きている限りその連続なのだと思いますが、その度に少しずつ改善し、今より少しでも、想像力のある人間に近づけていけたらなと思います。

 

 

 そういえば、中学生の時、英語の教科書でチャップリンのこんな名言を読んだことがあります。

 

「人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんの少しのお金です」

 

この言葉を初めて知ったとき、「そうかな?優しさだって必要なんじゃないのかな?」と思いました。想像力というのは、映画などの物語を創る時のみ必要なものだと思っていたからです。

でも今なら、この言葉の意味が分かる気がします。