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ボククボのくよくよ日記

ボククボがくよくよしながら日々ちょっとずつ成長していく記録

就活スタート! マイナビの“業界研究EXPO”に行ってきた!

「ボククボのくよくよ日記」とタイトルをつけておきながら日記を全然書いてなかったので、ここらで普通に日記を書こうと思います。

 

今日は、マイナビの「業界研究EXPO」という就活イベントに行ってきました!

 

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100近くの企業がブースを出展し、無料で自由に会社説明を聞けるお得なイベントです!

これまで「就活やらなきゃな〜」と思いながら全く何もしておらず、就活を始めるきっかけとして参加してみました。

東京ビッグサイトというところに初めて言ったのですが、やはりお台場の方だけあってめちゃくちゃ広い!そしてすごい人でした!

 

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こんな感じ!

人が多いのもすごいのですが、何よりすごいのが勧誘。端から端まで歩くだけで「IT系興味ある?」「5分だけ説明聞かない?」「資料だけでも!」と10回ぐらい話しかけられました笑

 

なんか就活って、企業がどんと構えているところに学生がビクビクしならが行くというイメージだったんですが、意外と企業の方が必死なんですね…!

 

さて、ぼくはどんな企業を見たかですが、そもそも、ぼくは少し前まで就活はしない予定でした。というのも、7月まで「FDA」という、障がい者などの就労困難者に就労訓練をするNPO法人で9ヶ月間インターンシップをしていて、そこに就職させてもらうようお願いするつもりだったからです。

そのまま卒業までインターンシップを続けさせてもらおうかと思ったのですが、ふと「やっぱり他の企業も見た方がいいんじゃないか」と思ったんですよね。そのNPO法人はすごくぼくのやりたい事業で、働いている人も最高だったんですが、いくらなんでもあまりにも視野が狭すぎるなぁと。「色々な企業を見てからやっぱりFDAが一番だと思ったら戻ればいいし」と考え、真面目に就活をすることにしました。

 

で、FDAインターンシップを離れてみると、やはり自分がいかに視野が狭かったかということが分かったんですよね。また、自分の強みを活かそうとしていなかったなとも思いました。

就活ってたぶん、自分のやりたいことだけでなく、得意なことも考えていかなきゃいけないんですよね。ぼくはおそらく文章を書くことや何かを発信することが強みなので、たとえば新聞社とかテレビ局とか、そういうところが向いているんじゃないかと思いました。

なので今日は「テレビ東京」とか「読売新聞」とかのブースを見て回ったんですが、意外にもめちゃくちゃ面白そうでした!

なんか、これまでは「人助けを主軸に置いている企業でなければ嫌だ」とか思っていましたが、別にたぶんずっと同じ会社では働かないだろうし、最初の数年間は人助けと全然関係なく、自分に得意で向いていることを思い切り楽しくやってもいいのかな、とふと思いました。それで何らかの力がついたあとに人助けをした方が、視野の広い人間になれるし、できることも多い人間になっているんじゃないかなと。

 

ぼくは「〜ねばならない」という思い込みが強くてつい狭く考えがちですが、ちょっとその思い込みの枠が外れ、視野が広がった1日でした。

物語以外で最も衝撃を受けた本 “貧困のない世界を創る” 紹介

お気に入りの物語を少し紹介してきましたが、物語以外の本も割と読みます。小説以外の本ってなんて言うんですかね?実用書?

ちょっと分かりませんが、とにかく小説以外でぼくが1番衝撃を受けた本を紹介します!

それは、“貧困のない世界を創る”です!

 

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すごくないですか?このタイトル。「貧困のない世界を創る」ですよ。どんだけ大それたタイトルだよって感じですよね。

これは、社会問題を解決するひとつの手段、「ソーシャルビジネス」について書かれた本です。ムハマド・ユヌスというバングラデシュの起業家が書きました。

 

ムハマド・ユヌスって誰?」

 

そう、この人は日本ではあまり知られていないのですが、実は2006年にノーベル平和賞を受賞し、当時はテレビのニュースとかでけっこう報道されていたんですよ。

端的に言うと、ユヌス氏はグラミン銀行という、貧しい人にお金を貸す銀行を創り、多くの貧しい人を救ったことの実績を買われ、ノーベル平和賞を受賞しました。

そのグラミン銀行に代表される「ソーシャルビジネス」という手法を彼は推進しており、「ソーシャルビジネスこそが世界の社会問題を全て完璧に解決するのだ」と言い切っています。そのソーシャルビジネスについて余す所無く書かれたのがこの本であり、読むと、いかにそれが優れた方法なのかが分かります。

せっかく優れた方法と人なのに、なぜか知名度が非常に低い……。というわけで、紹介してみます。

 

ソーシャルビジネスとは?

 ソーシャルビジネスとは、簡単に言うと、「ビジネスの手法を使って社会問題を解決する手段」のことです。

社会問題は長い間、行政のみが対応すべきものと考えられていました。ところが、行政だけでは決断が遅い、票が集まる問題にしか対応がなされない、などの欠点があり、社会問題の解決には効率が悪いことが分かりました。

そこでNPO法人が生まれ、行政よりも迅速に、そして小回りの聞くやり方もとられるようになりました。ところが、NPO法人にも問題がありました。それは、「活動の一部を寄付を募る事に費やさなければならず、しかも寄付が断たれると活動も止まってしまう」というものです。もちろん寄付の割合が少ないNPO法人もありますが、大半はその収益の大部分を寄付に依存しており、寄付頼みになってしまっているのです。

そこで考えられたのが、第三の方法、ソーシャルビジネスでした。これは「通常のビジネスの方法」を用いて、社会問題を解決するのです。たとえば綺麗な水が飲めない地域があれば、寄付で募ったお金で水を買い、それを与えるのではなく、水を低価格で「売る」のです。きちんと収益の出るビジネスになっているので、寄付に依存すること無く、貧しい人が無理なく水を手に入れることができます。

 

「貧しい人に無償の施しをするのではなく、ビジネスの相手として搾取するとは何事だ!」

 

こういうことを思った人もいるかもしれません。しかし、それは違うのです。貧しい人はただで施しをされてしまっても、ただ尊厳が失われるだけなのです。また、受け取るのが当たり前になってしまって自立しようとしないかもしれません。そのときだけは助かるかもしれませんが、根本的な解決にはならないのです。

「貧しい人には、施しではなく尊厳と自立を」。これがソーシャルビジネスの考え方です。

 

ムハマド・ユヌス

 この方法を、ムハマド・ユヌス氏はどうやって思いついたのでしょうか。そのためのエピソードを紹介します。

 

ユヌス氏は、バングラデシュのとある大学で経済学を教えていました。ところある日、未曾有の洪水災害が起き、バングラデシュの貧しい農村が破壊されてしまいます。

「こんな部屋の中で教えている経済学は人を救わないじゃないか」

そう思ったユヌス氏は、災害が起きて数ヶ月後、貧しい農村に実際に行きました。そこで出会った人々はずっと貧しい生活をしており、いくら働いても生活が良くならないようでした。

「どうしてこんなに働いているのに生活がよくならないのか」と聞いてみると、高利貸しの人にとんでもない高利率で金を貸されているため、いくら返済しても借金を返済しきれないとのことでした。

一体どれくらいお金を借りているのだろうと思い調べてみると、なんと42世帯合わせて、たった1人の高利貸しから合計27ドル(約3000円)を借りているだけだというのです。ユヌス氏はポケットに入っていた27ドルを取り出し、「これをやるから女性達を解放してくれ」と高利貸しに言い、42人の女性達を救いました。

 

「たったこれだけのお金でこれほど多くの人が救えるなら、やらないわけにはいかないではないか」そう思ったユヌス氏は、高利貸しの代わりに、女性達に低金利でお金を貸してみることにしたのです。「そんなことをしても、貧しい人がお金を返すわけないよ」と人々からは馬鹿にされましたが、驚くべきことに、返済日が来るとお金を借りた人全員が、全額をきちんと返したのです。

「貧しい人が借りたお金を返さないというのは偏見だ」と気づいたユヌス氏は、これをどんどんやっていこうと決意しました。

そして数年後、“貧者のための銀行”「グラミン銀行」を設立し、今や何百万と言う貧しい人々を救っているのです。

 

このグラミン銀行のすごいところは、貧しい人にお金を「あげる」のではなく「貸す」という選択をしたことでした。よく「募金をお願いします」と言われ、その度にぼくたちは複雑な気持ちになりますが、あげるのではなく貸すというのは斬新ですよね。

寄付に依存しないのでグラミン銀行はどんどん大きくなり、結果的に無償で人を助ける組織よりも多くの人を救っているのです。

 

ぼくはこの本を読んで、かつてない程の衝撃を受けました。「多くの人を助けるためには、どれだけ寄付を得られるかだよな…どうしよう…」とか考えていたので、「寄付じゃなくてビジネスで人を助けるなんて!」というのはまさに目からウロコだったのです。何の知識もないのに単純かもしれませんが、「これなら確かに多くの人を救える」と思いました。

ぼくのその時のワクワク具合は尋常ではありませんでした。常に心が躍動し、なんとそれまで2年間苦しんできた病気の痛みが1ヶ月なくなったほどです(本当です)。

まだ少ししかこうした本を読んでいないので、これからまた別の知識を得れば変わる可能性はありますが、今のところ、ぼくは将来はこのソーシャルビジネスをやりたいと思っています。

ただ、普通のビジネスでも難しいのに、貧しい人を相手にするには商品を低価格にしなければならないなど、ソーシャルビジネスは相当難しいそうです。人並みのこともできないのに、本当にできるのだろうか…という不安はありますが、そこはなんとか頑張るしかないかなぁ、と思っています。

 

貧困のない世界

最後に、ユヌス氏が夢見る世界、「貧困のない世界」について、本書の最後に触れられているので紹介します。この本の良い所は、内容だけでなくその語り方に説得力があるところです。どうか読んでみてください。思わず鳥肌がたつ筈です。

 

貧困のなき世界。それはどんなものなのだろうか?それは本当に機能するのだろうか?

私は、貧困のない世界というのは、あらゆる人が生活に最低限必要なものを自分で手に入れる能力を持つ世の中を意味するのだと考えている。そんな世界では、飢えて死んだり、栄養失調に悩まされる人は誰もいないはずだ。

貧困のない世界が実現すれば、地球上のあらゆる場所にいるすべての人間が、教育や健康管理サービスを利用できるようになるはずだ。

慈善事業に頼って生きる人が誰もいなくなるから、国家に寄って運営される安全ネット敵なプログラムは存在理由がなくなってしまう。国家による社会保障プログラムや収入補助プログラムも不要になるだろう。

そして、貧困のない世界は、経済的にも今の状態よりずっと強固で、はるかに安定しているに違いない。
今日、ひどい貧困生活を強いられている世界の五分の一の人々は、収入を得て、収入を使う人になるだろう。彼らは市場に新たな需要を生み山車、世界経済を成長させることだろう。

社会の底辺にいる人々と、最高レベルの収入を得ている人々との生活様式の違いは依然として残るに違いない。しかし、それは中流階級と上流階級の違い程度のものでしかないはずだ。

私たちは本当に貧困なき世界を作り上げることができるのだろうか?飢えや、読み書きのできない人や、裸足の人々のいない世界を?

そう、私たちにはできる。“独立”国家を創ったように、あるいは“民主主義”政治システムや“自由”市場経済を作ったのと同じ方法で。

貧困なき世界も、完全なものではないかもしれない。しかしそれは最も理想に近い、最高の世界に違いないのだ。

私たちはこれまで、奴隷制度のない世界、ポリオのない世界、アパルトヘイトのない世界を作り出して来た。そういったこれまで達成してきたことをより強化しながら、貧困なき世界を作り出すのは、さらに偉大なことであるはずだ。貧困なこ世界は、そこに生きるすべての人々が誇りを持てる世界になるだろう。

“優しさ”とは想像力のことだと思う。(自戒を込めて)

つい最近、ある人にひどく怒られることがありました。ぼくの配慮が足らなかったばかりに人に不愉快な想いをさせてしまったことを、「ちゃんと考えなさい」と、怒られたというよりは、正しく叱られました。

あぁ、またやってしまったと思いました。ぼくはこういった類のことでは何度も怒られていて、気をつけていたつもりだったのですが、まだまだ甘かったようです。

もちろん「不愉快な想いをさせよう」なんて思ってはいなかったのですが、こうなってしまったのはぼくに配慮と言うか、人の気持ちを想像する「想像力」が足りなかったからなのだと思います。

ぼくは常々「優しさとは想像力のことだ」と思っています。寛大さとか思いやりだとか、そういうものだけではなく、相手の気持ちを想像できる力、それがないと本当に「優しい」人にはなれないと思っています。

たぶんこの考えはけっこう当たっていて、というのも、よく物事を考える人はだいたい同じことを言っているからです。

 

ぼくの1番好きな小説家、伊坂幸太郎の作品「ラッシュライフ」で、こんな台詞がありました。

 

「優しいって字はさ、人偏に『憂い』って書くだろう。あれは『人の憂いが分かる』って意味なんだよ、きっと。それが優しいってことなんだ。ようするに」

「ようするに?」

「想像力なんだよ」

 

また、重松清の小説「ゼツメツ少年」でも「大事なのは想像力です」とあるし、朝井リョウの「何者」でも、「光太郎のいいところは想像力があるところだ」「やっぱり、想像力のない人間は嫌いだ」「想像力、想像力。」と、これでもかというぐらい想像力の大切さを訴えています。

 

……とか言っておいて、ぼくはまだまだ想像力が足りません。未だにびっくりするくらい変なことを言ったりやったりするし、嫌われてしまうことは少なくないです。

だから本当は「想像力が大事なんですよ!」なんて語る資格は全然ないのですが、今回の件でじっくり考えさせられたので、自戒を込めて書いてみたいと思います。

 

高校生の時までは本当にひどかった

今のぼくもひどいのですが、高校生まで、ぼくは想像するということを本当にしていなく、お話にならないくらいひどい人間でした。

たとえば小学生の時、ぼくは1番後ろの席で、その前の席に座っていたのがすごく背の高い男の子だったんですね。で、ある日その子が学校を休んだんですけど、翌日にその子が登校してきた時、ぼくは笑顔で

 

「君が昨日学校を休んだから、黒板がよく見えたよ!」

 

って言ったんですよ。その子が「じゃあ俺が居ない方がいいってことだな」って怒って初めて、「しまった!悪いこと言っちゃった!」って気づきました。

他にも、先生が「このノート落ちてたんだけど誰のかしら?」って言って中身を見せてもらったとき、「ぼくこんな汚い字書かないので違います」とか言ったり。

 

まぁ幼い頃なら仕方ないかもしれないんですけど、そのレベルが高校の時まで続いたんですよね。クラスで文化祭の出し物決めをするとき、焼きそばづくりを推している人がいたのに「料理なんか作ってもつまらないじゃないですか」と悪気無く言ったり、文化祭の片付けで釘を拾ってくれている人に対し、「そんなちまちました仕事やらないでこれやって」と言ったり……。

色んな人に怒られたり嫌われたりしていたのですが、それらは突き詰めると、大体「人の気持ちを考えていないから」に行き着いていたような気がします。

でも、そんなぼくの欠点をきちんと叱ってくれる人がいて、何度も何度も叱られたあと、「あぁ、ぼくって怒らないし人にひどいことされても笑って許すし、優しいことが取り柄だと思ってたけど、知らず知らずのうちに人を傷つけてたんだな。全然優しくなかったな」と気づきました。

それからは常に「想像力、想像力」と言い聞かせて生活するように心がけています。(それでも全然甘かったので今回怒られてしまったわけですが)。

 

想像力のないケース

人間は不思議なもので、自分のことには気づかないくせに、人のことにはよく気がつきます。想像力のアンテナを張っていると、「あ、この人には想像力がないな」とすぐ分かりますし、反対に「この人はすごい想像力あるな」というのも分かります。

ここで少し、様々な「想像力のないケース」を例にとってみたいと思います。

 

・話が無駄に長い。

相手に話を聴くモチベーションが明らかに落ちているのに延々と自分の話をする人は、「想像力がないなぁ」と思ってしまいます。「自分がしたい話」ばかり考え、「相手が何の話をして欲しいか」を考えていないからです。ちなみにぼくも一年前くらいまでこうでした。今は話はなるべく短くすることを意識しています。

 

・「具合が悪い」と言っているのに「大丈夫?」とか「お大事に」と言わない。

具合が悪いことを想像できていないのか、それは想像できているのに言わないのか分かりませんが、そういった言葉を言ってもらった方が嬉しいだろうということを想像できていません。

ちなみに、具合が悪いその時だけではなく、その人が帰った後などにラインで「大丈夫?」と言ってあげたり、具合が良くなってから会った時に「もう元気になった?」などと言ってあげると、さらに嬉しいですよね。こうしたことができる人は「すごく想像力あるなぁ」と思います。

 

・「お疲れさまです」と言わない。

「お疲れ様です」というのは魔法の言葉だと思うんですよね。だってその人が今働いていないのに、「働いてくれたんだな」とか「頑張ったんだな」というのをまさに「想像」して、その苦労をねぎらう言葉ですから。

 

・心配してくれていた人に「もう大丈夫」と言わない。

これはぼくが高校の時にめちゃくちゃ怒られたやつです。

あるとき足を怪我したまま、演劇部の舞台に立つことになりました。顧問の先生がめちゃくちゃ心配してくれた中なんとか舞台を終えたのですが、そのあと先生に会った時、足のことと全然関係ない話をしてしまったんですよね。

すると「まずは『無事に舞台できました』だろ!どんだけ心配したと思ってるんだ!」と烈火の如く怒られ、初めて「あぁ、しまったな」と思いました。先生の気持ちを想像すると、本当にひどいことをしてしまったなと思います。

 

「悪気はなかった」では済まされない

これらのケースは、どれも悪気があって起こるものではありません。ものすごくおしとやかで人当たりもよく、困っている人がいたら喜んで人助けをしてしまうような人でも、こういったことをしてしまう場合がよくあります。

でも、「悪気はなかった」では済まないのです。それで現に人が傷つき、不愉快になるのですから。優しく在ろうと思うのであれば、ただ単に寛大になるだけでなく、人の気持ちを想像するよう、常に配慮を忘れてはならないのだと思います。

ぼくは「想像しよう」と日々気をつけていたつもりが、全然できていなかったことが分かりました。また気をつけなきゃな、と思っていますが、たぶんまたいつかどこかで「想像できていなかったな」と悔やむ時が来るでしょう。

生きている限りその連続なのだと思いますが、その度に少しずつ改善し、今より少しでも、想像力のある人間に近づけていけたらなと思います。

 

 

 そういえば、中学生の時、英語の教科書でチャップリンのこんな名言を読んだことがあります。

 

「人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんの少しのお金です」

 

この言葉を初めて知ったとき、「そうかな?優しさだって必要なんじゃないのかな?」と思いました。想像力というのは、映画などの物語を創る時のみ必要なものだと思っていたからです。

でも今なら、この言葉の意味が分かる気がします。

人はなぜ物語を創り、欲するのか

今日まで、小説、漫画、映画やアニメなど色々な「物語」を紹介してきました。ここで書きたいことが山ほどあるなか、なぜぼくは一生懸命そんなことをしてきたのか。物語なんてただの娯楽じゃないか、と思う人もいるかもしれません。

でもぼくには、「物語をただの娯楽で終わらせたくない」という強い想いがあるのです。物語には人を変える力があると思っています。今日は、そんな話をしたいと思います。

 

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物語の力

世の中には、人が創った無数の物語があります。希望や勇気を与えるものから、ただ笑えるもの、そしてひたすら考えさせられるものや、時には絶望を与えるものまであります。そうした物語に触れた時、皆さんはどうするでしょうか?

その時はきっとその世界に没入し、心が動くのでしょう。しかし、その物語から離れ日常に戻ったあとも、その物語を心の中に残し、日常生活に活かそうとしている人はどのくらいいるでしょうか。

たとえば、有名どころを挙げると、ONE PIECEという漫画がありますね。海賊王を目指す主人公の話です。

 

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これを読んで、「自分も『海賊王になる』くらいのでかい夢を持とう」とか思える人って、どのくらいいるのだろうかと思うのです。

大抵の人は、この物語の世界にワクワクし、「主人公かっこいいな」と思いながら、しかし現実では夢のない日々を送っているのではないでしょうか。大きな夢を目指そうなどとは露ほども思っていない人が大半なのではないでしょうか。

もしそうだとすると、おそらくそれは、「物語と現実を完全に切り離して考えているから」だと思うのです。

大きな夢を持ちたいなと思い、その時ONE PIECEのルフィの生き様を思い出しても、「いやいや、あれは架空の物語だから。現実はそんな甘くないから」と、切り捨ててしまうのです。でも、それってすごくもったいなくないでしょうか?ぼくは、そうやって切り捨ててしまうなら、物語を読む意味がないとさえ思うのです。

 

確かに、物語と現実の世界は違います。現実の世界では海賊王なんて職業はないし、ゴム人間になれるような不思議な力は得られないし、敵を暴力で倒せば夢に向かって突き進めると言うこともないし、そもそも敵なんていません。良い人が負けて悪い人がのさばるし、人は死ぬし、冒険なんかなく、目の前にはつまらない勉強やキツい仕事があるだけです。全然違います。

 

でも、だからといって「ONE PIECEなんて所詮物語だから」と切って捨ててしまったら、その作者は何の為に必死でこの物語を書いているのでしょうか。毎日命を削りながら、困難に立ち向かう主人公をなぜ書くのでしょうか。

ONE PIECEの作者は、「この漫画が暇つぶしや友達づくりのきっかけになれば」と言っていますが、でもやっぱり、何かを「伝えたい」という想いがあるのではないでしょうか。

例えば、同じく少年ジャンプの漫画、「銀魂」の作者はこんなことを言っています。

 

「ぼくの作品を読んだ誰かが前を向く様な物語にしないと、描く意味がないじゃないですか。歯を食いしばって描く意味が」

 

物語を創っている人というのは、大なり小なりこのような想いがあるのではないかと思うのです。つまり一言で言えば、「願いよ届け」と。

そうした物語に込められた「願い」を、ぼくは受けとめ、何らかの形で自分の人生に活かしたいなと思っています。

振り返ってみれば、これまで紹介して来た作品のどれもにぼくは強く影響を受けています。

 

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演劇「満月」で深く悩み、

 

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小説「SOSの猿」でその悩みから救われ、将来の夢を決めました。

 

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ガッシュの言う“優しい王様”に近い存在になりたいと思っていますし、

 

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ショーシャンクの空に」のアンディのように「現状を楽しむ努力」をするように心がけているし、

 

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女王の教室」の神田和美や「雪の女王」のゲルダのように「純粋な気持ち」を忘れないようにしています。

 

これらの物語は、常にぼくの心の中に深く残っています。

もちろん、いつでもこの物語を思い出して頑張れるわけではありません。世にあるどんな物語も救ってくれないような状況はたくさんあります。

たとえばぼくだって、受験勉強の時はいくら希望を持ったって目の前には難解な問題と治らない体調不良が頑然と立ちはだかっていました。いくらONE PIECEを読んだって「ルフィは受験勉強しなくていいんだからいいよな。ぼくだってクロコダイルとの死闘だったら頑張れるのに」とかそんな風にしか思えませんでした。ぼくに必要なものは勇気でも希望でもなく、偏差値とか薬とか、そういう実利的なものだったのです。

 

でも、それでも。それでも物語には力があるのだと信じたいのです。「所詮物語だよね」と言って切り捨てるのではなく、「あの物語のあのキャラクターも頑張ったのだから自分も頑張ろう」と思いたいのです。たぶんみんなそう思いたいから、これだけ世の中には物語があるし、人はそれを欲するのではないでしょうか。
(受験勉強の時に物語が役に立たなかったのは、おそらく読むべき物語のチョイスを間違えていたからです。ONE PIECEではなくドラゴン桜とかを読めば良かったのかもしれません。)

 

別に、ONE PIECEを読んだ人はみんなでかい夢を持たなければならないと言いたいのではありません。ただできれば、今まで触れて来た膨大な物語のほんの一部でもいいから、自分が共感できる人物や台詞を、自分の心の中に落とし込み、糧にする。

 

ONE PIECEの例で言えば、現実で海賊王を目指すことはできなくとも、ルフィのように信念を持って生きようと心がけることはできますし、ポジティブな生き方を真似してみることもできるでしょう。
そうしたことができるかどうかで、人生は全く違ったものになると思うのです。そしてそれは物語それ自体の素晴らしさではなく、読み手(自分)の姿勢にかかっており、それができた時、物語は初めて真価を発揮するのだと思います。

 

現実は複雑で、つまらなくて、勧善懲悪にはならないし、人はなかなか変わりません。そんな都合よくいかないし、バッドエンドだってたくさんあります。

それでも、辛い時に物語を信じ、どこかの主人公に背中を押してもらう。ぼくはそんな生き方をしていきたいなと思います。

1番お気に入りのアニメ “雪の女王” 紹介!

「1番お気に入りの◯◯」シリーズ(たぶん)最終回は、アニメです!小説、演劇、漫画、映画、ドラマ、アニメと来たら、もうそれ以外に物語のコンテンツってたぶんないですよね…?

さて、ぼくの1番お気に入りのアニメは…雪の女王です!

 

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くしくも、1番お気に入りのドラマと同じ「女王」つながりですね。さらに偶然にも、その「女王」を指す人と主人公の女の子の性格は両作品で非常に似ています。

 

これは、ぼくが小学校低学年ぐらいの時にNHKで放送されたアニメです。アンデルセンの「雪の女王」という童話を、現代の子どもたちが楽しめるようにアレンジしています。

もうこれはどこがいいかって、とにかく主人公、ゲルダの純粋さとひたむきさが素晴らしいのです!!何度観ても童心に帰れる綺麗なアニメです。

 

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主人公、ゲルダ

 

あらすじ

けっこうマイナーな作品なのであらすじを説明します!

ゲルダにはカイというとても仲良しな男の子がいたのですが、

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カイ。さわやかな心優しい少年。

 

あるとき、突然性格が豹変してしまいます。北の方にある氷の城の鏡が割れ、その破片が目に入ってしまったからです。

そのカイの安全を守るため、氷の国の女王はカイを黙って氷の城に連れて行ってしまいます。

 

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村の人々は、カイはきっと池に落ちたのだろうと諦めますが、この連れて行かれる様子を夢の中で見たゲルダは「カイは氷の城に連れて行かれただけよ!私が必ず連れ戻します」と宣言し、村を出て、たった1人ではるか北にある氷の城を目指します。

 

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北へ北へとひたすら旅をする中で、たくさんの人々に出会い、事件に巻き込まれたり優しさに触れ合ったりしながら、ゲルダが成長していく物語です。

 

ゲルダの純粋さ

この物語の魅力は、とにかく主人公ゲルダの「純粋さ」「ひたむきさ」の一言に尽きます。

ひとつ例を挙げましょう。


旅を初めて1番最初の日に、何やらおかしなおじさんに出会います。

 

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その日は偶然、ゲルダとおじさんが同じホテルに泊まるのですが、なんとおじさんは泥棒で、夜中にこっそり客の荷物を全て盗んでしまうのです。そのままとんずらしようとしたところへ、ゲルダが現れます。

ゲルダは涙をこぼしながら、こう言うのです。

「変なおじさんだけど、悪い人だなんて思ってなかった。ううん、本当はうんと優しい、いい人だと思ってた。おじさんが本当はいい人で、優しい人だと分かったらどくわ」

 

そして雪の中、旅に出る前におばあちゃんにもらった赤い靴を脱ぎ差し出して、こう続けます。

 

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「これ、おじさん欲しがってた。あげます。おばあちゃんからもらった大切な靴だけど、お世話になったホテルの人たちを困らせるわけにはいかないから!だから皆さんの荷物、返してあげてください!」

 

この愚直とも言える純粋な行為と言葉に、泥棒のおじさんも思わず涙を流します。

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「ばかやろう…そんな安い靴、誰も欲しがりゃしねえよ……」

こう言って、おじさんはダッシュでホテルに戻り、客の荷物を全て元の位置に戻し、部屋に駆け戻ってベッドにくるまり号泣するのです。

 

ゲルダだけでなくおじさんも愚直ですし、シンプルなことこの上ないお話ですが、この純粋さにぼくは心を打たれるのです。

こうした話がたくさん、たくさんこのアニメにはあります。

 

一応結末を言うと、なんやかんやで、最後はゲルダはきちんと氷の城にたどり着き、カイを元通りに戻して2人で村に帰り、平和に暮らします。

 

いつまでもこのアニメに泣ける人でありたい

ぼくは女王の教室と同じように、このアニメを3回も観て、3回目で1番泣きました。ちなみに3回目というのは、大学受験が終わった直後です。

振り返ってみると、女王の教室神田和美もそうですが、ぼくは「純粋な人」が好きなのでしょう。
「私はこいつのこと好きです」と鬼教師に宣言してしまうような、「この靴あげるからみんなの荷物返して」と泥棒に本気で言ってしまう様な、愚直な純粋さがたまらなく好きなのだと思います。

普通は、大学生とか大人になるとこうした話には泣けなくなってくるのかもしれません。もしかしたらこの記事を読んだ人も「未だにそんなことで泣いてるの?」と引いているかもしれません。

確かに現実はすごく複雑だし、人間には下心や悪意があるものです。こうした純粋さは現実にはほとんどないと言っていいでしょう。

それでも、ぼくはこの純粋さを大切にしたいのです。和美やゲルダと同じくらい純粋な心を持ちたいし、もしいつかそれは無理になってしまったとしても、この物語を観た時、泣き、「こうした純粋な気持ちが持てればなあ」と思うぐらいの心は持ち続けていきたいなと、そう思います。

1番お気に入りのドラマ “女王の教室” 紹介!!

今日は1番お気に入りの「ドラマ」を紹介します!
それは…“女王の教室”!!

 

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ぼくが小学5年生の時に放送された、教師ものの連続ドラマですね!!もうこれは本っっ当に大好きです!!これまでも小説や映画など色々紹介して来ましたが、「好き」という観点から言うと、この世の全ての創作物の中でベストかもしれません!なんたって3回観ましたからね!!しかも3回目が1番泣いたっていう。さらにこのブログを書くにあたって少し見返したらまた泣くっていう。どんだけ良いドラマなんですかこれは!!

ということで、思い切りネタバレしながら紹介していきます!

 

概要

女王の教室”は小学校を舞台にした教師もののドラマですが、これまであったどの教師ドラマとも違います。なぜなら、その教師は悪魔の様な人だからです。

そう、天海祐希演じる「阿久津真矢」という人は、終始にこりともせず、氷のように冷酷で残虐な鬼教師なのです!しかも首から下まで全身真っ黒というスタイル。

 

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ちょっとしたホラーのよう(笑)

 

このドラマは、いつもこのキャッチフレーズとともに始まります。

「この物語は、悪魔のような鬼教師に小学6年の子供たちが戦いを挑んだ、一年間の記録」

いやどんだけ斬新なドラマだよ!!かつてないパターンですよね笑

 

あまりの過激さにクレームが殺到

この鬼教師が、たとえば「成績下位の人に雑用をやらせる」とか「自分に歯向かった人を無視する」とかあまりにも過激なことばかりするため、視聴者(特にPTA?)から「あまりにもひどすぎる」とクレームが殺到し、放送中止の危機に陥ったほどの問題作なのですね。

しかし、ネタバレになってしまいますが、阿久津真矢(以下、真矢)はただの鬼教師ではない、という点がこのドラマの核心です。

彼女は本当は誰よりも生徒想いの教師であり、「社会に出てどんな困難があっても立ち向かえるように」と、あえて自分が壁となり、子供達を強い人間に育てようとしていた……ということが最後に分かります。

子供を叱る大人が少なくなり、ぶれる教師も多い中、尋常でない信念と愛情を持って子供達に厳しく接する真矢と、それにまっすぐぶつかり、悩み、成長していく子供達。

他の教師ドラマとは一線を画す、重厚感のある最高のドラマです。

 

志田未来が可愛い

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子ども達の中の主役は、志田未来。現在も様々な作品に出演している、超清純派、王道派の女優です。6歳の頃からデビューしていましたが、この作品を機に一気にブレイクしました。

この作品で演じる神田和美という女の子も、志田未来とそっくりで明るくまっすぐな強い女の子です。

 

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 「てぃひっ」とか、こびるのではなく自然にやっちゃうのがたまりません。もう、可愛いすぎますね。大好きです。ぼくはもうこのドラマで志田未来に惚れました。

 

2話で発揮される神田和美の強さ

1話ではただひたすら真矢の恐ろしさが発揮されるだけなのですが、このドラマの真骨頂は2話で訪れます。そう、和美の強さが発揮されるのです。

真鍋祐介というお調子者の男の子が和美のクラスにはいるのですが、ある時その子が真矢に「あなたは両親に捨てられたんでしょ?あなたがいつもヘラヘラ笑っているのは、寂しさを誰にも悟られたくないからよ!」などと超酷いことを言われます。

普段はおちゃらけてばかりいる祐介も拳をふるわせ、何も言えずに涙ぐみます。かわいそうと思いながらも真矢が怖くてクラスの誰もが黙っている時、和美が1人、「もうやめて」とつぶやき、先生に立ち向かうのです。そして泣きながら、こう言います。

 

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「こいつは確かにお調子者で馬鹿で、どうしようもないやつだけど…。でも、この前私が遅刻して先生に怒られそうになったとき、先生の気を引いて助けてくれました。昔、友達がいなくて寂しかった私に一番に話しかけてくれたのもこいつでした。こいつにはいいところがいっぱいあるんです。私は、こいつのこと好きです。大好きです」

 

もう、なんなんですかこの純粋さ。友達のために、恐ろしくてたまらない真矢に震えながらもしっかりと立ち向かう強さ。何度観ても泣ける名シーンです。
ぼくはこういう人が好きなんですよ。こういう純粋で強い人と付き合いたいです。

 

これでもかと襲いかかる試練と、その度に助けてくれる存在

このドラマでは、和美がどんどん追いつめられ、もうダメだと思った時に誰かの優しさに助けられる…ということが何回かあります。

真矢のせいで大好きな友達に裏切られるわ、クラスメイトに泥棒扱いされるわで散々な目に。さらに家では両親が喧嘩していて…という絶望的状況になったあと、和美の不安に気づいた姉が「何かあったらいつでも言いなよ。私はあんたの味方だからね。いつでも。」と言ってくれたり。

 

 

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この流れが非常に自然に描かれており、視聴者は心を揺さぶられずにはいられないのです。何度観ても、よく練られた脚本だなと感心してしまいます。

 

 

さて、和美はクラス全員からいじめられるなど壮絶な経験を乗り越え、クラスをまとめあげます。

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これでハッピーエンド!と思いきや、今度は真矢は親を味方につけ総攻撃!親とのバトルが始まります。

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これも和美を中心に乗り越えていきます。現実にも普通にある、「子と親の確執」をリアルに描き、その解決方法をこのドラマではやや理想的ではありますが現実的に提示します。 

一言で言うと、「自分の気持ちをきちんと親に伝えること」。対話を通して、真矢のクラスではクラスメイト同士のみならず、家族関係も良好になるのです。これらは全て、当然真矢の狙い通り。これまでの「異常ではないか」と思うほどの厳しさが、結果的に良い方向へ向かっていく様子は見事です。

 

真矢、倒れる

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マヤは最終回の直前、過労により倒れてしまいます。自分が壁となって追いつめた子ども達が本当に危ない目に遭わないか、ろくに寝ずに見守っていたからです。鬼のように振る舞いながら、本当は子供達が心配で心配で溜まらなかったのです。

  

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 マヤの部屋には、クラス24名分のデータがぎっしり保管されていました。本当に生徒のことを考えていた先生なんだなということが分かる象徴的なシーンです。小学生の時のぼくも、ここでハッとしたのを覚えています。

 

涙の卒業式

 最後には子ども達も「実は真矢は良い先生なのだ」ということに気がつき、卒業式の日、「仰げば尊し」を泣きながら熱唱します。

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 上を向いて、涙が落ちないように必死にこらえる真矢。それでも、歌い終わると涙などなかったかのようにまた厳しい表情に戻り、「早く中学に行きなさい」と厳しく喝破して立ち去ります。

 

最後の最後、中学生になった和美が真矢に「アロハ(I love you)」と伝え、真矢が初めての笑顔を見せてこのドラマは終わります。

 

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全力で壁となる教師と、それに負けず戦い成長する小学生の物語。

ぼくの人生のバイブルだと胸を張って言える作品です。是非観てみてください!

1番お気に入りの映画 “ショーシャンクの空に” 紹介

1番お気に入りの小説・映画と紹介してきましたが、今日はぼくの1番お気に入りの“映画”を紹介したいと思います!!それは、“ショーシャンクの空に”です!!

 

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傑作映画として世界的に有名な映画ですが、知らない人も多いかもしれません。

簡単に内容を紹介すると、“無実の罪で極悪刑務所に収監されてしまった主人公、アンディの奮闘記”です。掃き溜めみたいな環境の刑務所の中で、希望を失わずに生きるアンディの生き様がとにかく素晴らしいのです。

この映画の魅力をネタバレありで紹介していきます!!ただしラストの核心的な部分には触れていないので、これを読んだあとでも映画はだいたい楽しめると思います。

 

無実の罪で捕われてしまうアンディ

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冒頭はいきなり裁判のシーンから始まります。「自分の妻を浮気相手ともども銃で殺した」という罪を、証拠も無いのに負わされてしまうのです。まぁ、本当に殺そうと思って、浮気現場の近くにピストル持って隠れていたので確かにめちゃめちゃ怪しいんですけどね。でも実際には良心が咎めて撃たずに引き返したのに、車のタイヤの跡などから犯人だと推察され、終身刑が確定してしまいます。

 

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劣悪な環境だと有名なショーシャンク刑務所に収監。丸裸にされかわいそう。
他の新入りの囚人達は泣き始めたりしますが、しかしアンディは静かに黙りこくっています。そう、彼は非常に冷静・知的で、自分を常に持っているのです。

 

地獄の日々

 刑務所内では看守が暴力的で、少し何かあると囚人を虐待するのは当たり前。その上、当然ですが囚人にも危ないやつがいます。アンディはゲイのチンピラに目をつけられて、毎日リンチされてしまいます。 

 

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銀行員としての知識

そんな地獄の日々に、あるとき一筋の光明が訪れます。

アンディは銀行員として働いていた男だったのですが、その知識が思わぬ所で役立つ時がきたのです。

暴力的な鬼教官が「妻に金をとられて…」みたいなぼやきをしているときに、「これをこうすればあなたの元にお金が入ります」と、銀行員だからこそ知っている知識で助言したんですね。

 

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囚人にはいつも厳しい看守も、自分に利益のある話をしてくれるのなら話は別です。アンディは「俺が書類を書くから仲間達にビールを」と要求し、看守はその通りにします。

 

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冷酷な看守にコキ使われるだけだった囚人たちが、初めて刑務所内でビールを口にするシーン。その様子を、自身は酒を飲まずただ笑って見つめているアンディ。

 

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もう、カッコよすぎです。ぼくはもうこのシーンでこの映画に完全に心酔しちゃってます。

 

改革の風

アンディは他にも、刑務所内に様々な改革の風を吹き込みます。

放送室の仕事を頼まれた際、本来は看守のみが聞く筈の音楽レコードをセッティングし、所内全域に放送したり。

 

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久しぶりに聴く音楽に呆然と立ち尽くす囚人達

 

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看守達がやってきて「開けろ!」と言われているのにこの余裕の表情。

 

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「消せ!」と何度も言われ身を起こし、ようやく消すのかと思いきや、ボリュームを最大限にし、署長の目をまっすぐ見て微笑みます。
もう、観ている方も思わずにんまりしてしまうシーンです。一生に一度くらい、誰かにこういう歯向かい方してみたいですね(笑)

まぁ、このせいでこのあとしっかり懲罰房に入れられてしまうのですが…。

 

また、予算を申請し、刑務所内に図書室を作ったりもしました。

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掃き溜めのようだった刑務所がどんどん変わっていく様は本当に清々しいです。

希望を潰す署長

ところが、物事はそう良いことばかり起こるわけではありません。

あるとき、別の刑務所から移送された囚人が、「アンディが犯人とされている事件の真犯人を知っている」と持ちかけます。その人から話を聞けば無罪になると興奮したアンディは当然その話を署長に持ちかけますが、優秀なアンディを手放したくない署長はその話を聞かないばかりか、その話を持ちかけた囚人を射殺し、さらにアンディを光の入らない懲罰房に一ヶ月もぶち込みます。

 

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 さすがのアンディも心を折られてしまう姿に、もう観ているこっちも悲しくなります。

仲間内で、自殺の可能性までほのめかすアンディ。さて、一体彼の運命はどうなるのか……。

ラストは、是非映画を観てみてください。

 

まとめ

どうでしょう?少しはこのアンディという男の生き様が伝わったでしょうか。

普通であれば「なぜ俺がこんなところに」とか「もうこんな場所いやだ」と、自暴自棄になってしまうような境遇・状況で、アンディは屈しず、できることを最大限やろうと努力します。ぼくもこんな男になりたいです。

なぜ、アンディはそうした生き方ができるのか。それは、彼には強く信じているものがあるからです。アンディはある時こう言います。「誰の心の中にだって、奪えないものがあるじゃないか」と。「何が?」と聞かれたあと、彼は当然のようにこう答えます。

 

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そう、この映画のテーマは、きっと“希望”です。
ぼくは、愚直に「希望」を信じることを訴える物語はあまり好きではありません。なぜなら、希望だけではやっていけないことがたくさんあるからです。
現にアンディには希望だけではなく、様々な専門知識や技術があったからこの刑務所でうまく立ち回れているのです。

しかしそれにせよ、刑務所で20年もの間彼を支えたものは、やはり“希望”でしょう。ぼくもそれを忘れないで生きていきたいなと思います。

 

DVDのイラストを観ると「すごい昔の難しい映画かな」という印象を受けると思うのですが、そんなことは全然ありません。映像に古くささはないし、話も非常にシンプルで分かりやすく、誰が観ても必ず楽しめます。

この映画を観て心に残らない人って、たぶんいないんじゃないでしょうか。それくらいオススメできる映画です。是非観てみてください!